家事と育児には積極的に参加していなかった小学生の頃の僕だったのに、毎週日曜の朝だけはそれに関する日課、というか週課がありました。
それは「朝ごはんにホットケーキを焼くこと」。
はっきりと思い出せないにしても、中学生になるか? ならないか? の頃まで続けてました。粉をふるってボウルに入れて牛乳と卵を落として混ぜたのをフライパンで焼く。ただそれだけのことなのに随分と誇らしげだった気がします。「ホットケーキなら僕にまかせて!」本気でそんなふうに思ってたりして。
お察しの通り、家事の手伝いというより単純に自分が食べたいだけのことでした。でも母親に毎週毎週ホットケーキをお願いしたってなかなかそうはいかない。
そう悟った子供の浅知恵と、きっと「たまには家事を休みたい!!」って思っていた母親の願いが上手い具合に折り合った結果、半分は自分の意思、もう半分は母親のおだてにまんまと乗せられる形で僕はパティシエ修行を開始。おかげさまで、ホットケーキに関しては焼くのはもちろん、食べるのも大好きな男に成長しました。
ただ、その頃からひとつだけ気になってること。
「どうして1枚目はあんなに落ち着かないんだろう?」
例えば4、5枚焼いたとしても1枚だけ明らかに浮いてしまう。しかも、それを適当にごまかそうと重ねた下のほうに追いやっても結局は食べる時にバレるし、そうすると1枚目に落ち着きのあるほう、2、3枚目にそうじゃないほうを目の当りにしてしまうという、あんまりよろしくない流れになってしまう。
かと言って「試し焼き」と割り切って捨ててしまうなんて、もったいなくて僕には絶対出来ないし。
こないだも寝起きに焼いて、やっぱり1枚目はああなっちゃって……でもふと思いました。僕の知る限り、お店でもSNSの世界でもこの1枚目ってのは見事なまでに「無かったこと」にされてしまってます。材料はまったく同じなのに焼き色がアレなだけで随分な扱い。
でもよくよく考えると、この1枚目こそがホームメイドの証。なのでは?
そう考え始めるとあの焼きムラも愛おしく思えます(地元に一軒、躊躇なく1枚目を忍ばせる好きな喫茶店があるけれども、ややこしくなるから今日は省きます)。
1枚目だってれっきとしたホットケーキ。1枚目を邪険に扱うのはもうやめにしよう。
かと言って「この手作り感がたまらな~い♡」だなんて、逆の特別扱いして妙に崇めるのもやめよう。
僕がいつしかこんなことを思うことすら無くなる日を夢見て、「焼き色の落ち着かない1枚目のホットケーキを邪険にしない協会」を設立します。
自販機の話、今回は一切してませんでした。
そういうのも含めて「HERE I AM」きっての息抜きページだと思っていただいて時々チラチラご覧いただけると嬉しいです。
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